てんちょが女顔の理由
せっかくなので、一条たんについて、真面目に考察してみた。
てんちょが女顔な理由。
それは端的に言えば、『沼』とてんちょの存在その者が、魔女的だからだろうな、と。
沼はもちろん水たまりのあの沼からついた呼び名なわけですが、もともと水面というのは羊水に通じる、母なる物のモチーフの一つだそうです。古代においては、あの世は水の向こうや、水の底、あるいは地の底に想定されていることが多いのだとか。
地母神でググると色々出てくると思うんですが、母はあの世からこの世へ、命を持ってくる豊穣の側面があると同時に、同じ力を持って、この世にある物を、あの世へと取り込み飲み込む、死をもたらす側面もあります。
母とはあの世とこの世の通路を司る存在だからです。
地母神は童話などでは魔女や蛇やドラゴンとして登場し、助力者になることもあれば、敵対者になることもあります。
(ただし父権宗教が浸透してくると、これらは単純に悪いものとして扱われるようになってゆくのだそうな)
また一般に、あの世には、この世にないもの・命・宝が存在するのも定番。
あの世に行き、生きたまま帰ってこれた者が、この世へご褒美を持ち帰る童話も、多く残されているのだそうで。
しばしばあるパターンとして、蛇や龍の腹の中に食われる(産道・すなわちあの世への通路に入る)と、そこに素晴らしい宝があり、腹からの帰還に成功することで、宝を獲得する、というのがあるのだとか。
むろん帰還に失敗すれば、あの世へ取り込まれてしまいます。
これ、まさに『沼』の特徴そのものですわいな。
腹に宝を抱え込み、それを狙いに来た者達を、次々飲み込んで、あの世へ送り込む。
ま、カイジが挑戦した賭けって、多かれ少なかれみんなそういうところはあるんだけれど、沼の場合相手をずぶずぶと飲み込み、宝をずぶずぶと抱え込む姿が、特に強調されて描かれてるんだよね。言ってみればここがテーマになってる闘い。
一般的にカイジは、信頼と裏切りが結構大きなテーマだったりするんですが、対戦相手がパチンコ台じゃ、信頼もへったくれもないですからね。(どれだけ玉が出るかを、客に隠して店が設定するのが、パチンコのルール。劇中でも言われているとおり、店が出さないと決めた台からは出ないのはルールのうち)
また、一条本人も動物に例えるなら蛇っぽい性格に描かれています。
決闘で敵にとどめを刺すのではなく、一端飲み込んで(カジノへ入店させ)、後は勝手に胃酸に溶かされる(挑戦者が資金を溶かして自滅する)のを待つシステムを採用している。
牙は細いのに噛まれると死ぬほど痛い痛い(血マニ)。
繊細な外観とは裏腹に、結構大雑把な力技で獲物を飲もうとする。
また蛇には嫉妬深いというイメージもありますが、一条がカイジにつっかかるような物言いをするようになったのは、黒崎がカイジの方が一条より遙かに優れている面があると評してからです。
あと、一条はかなり女々しいことを根に持つ性格でもあります。
で、蛇もまた先述したとおり、地母神のモチーフなんですよねー。
カイジから見ると、沼は一条の化身であり、一条は沼の化身です。そしてこの二者はどちらも、地母神の魔女としての一面が強い。
これがてんちょの女顔の理由ではないかな、と思います。
つまり、てんちょは魔女ッ子たんだったんだおヽ(゜∀゜)ノ
魔女は人を死へ誘う誘惑者なんだから、綺麗なルックスしてるんだよ!!
じゃ、なんでてんちょはおにゃにょこじゃないのさ、というと、まぁこれは福本作品全般に言えることですが、完全におにゃにょこだと、運命の女神様になっちゃうからです。
女は運命の象徴そのもの。古来からのお約束で、そういう記号《シンボル》なんです。あげまんとかさげまんとか、まさにそれ。女の子の気まぐれや癇癪一つが、彼女が愛した男の運命を動かす力がある、そういう呪術的な思想が人々の無意識にある。女の子は出すだけで、そういうイメージを与えてしまう。
絶対勝てないっつーか、これはそもそも戦うこと自体が出来ない相手です。運命の女神の寵愛巡って争うのがギャンブルなんですから。
というか、福本氏のギャンブルに女は要らないって、この辺が絡んでそう。
坊ちゃんの小説内には登場しましたが、彼女は運命の女神であること(愛した対象に勝利の運気をもたらす存在たること)を捨て、自らが運命への挑戦者になる選択をする形で描かれてるから、登場できるんですよね。
ところで、てんちょカムバックできねーかなぁ、とファンはみんな思ってたりするわけですが、カイジの激励のおかげで、確かにフラグは消えてないですしね。
ここでふと思うんですが、もしも店長が食らった刑が焼き土下座だったら、100%復帰は不可能だったろーなぁと。
実際に焼き土下座を食らった利根川が廃人から復帰する可能性は0ではないように私は感じるのですが、これがてんちょだったらはアウト。
古来から魔女の弱点は火。魔女へ唯一とどめを刺せる方法は、父権の象徴である炎で焼き殺すことだからです。
逆に……実際に一条は地底に落ちたわけですけど、地底ってもともと地母神のテリトリーなんですよね。
確かに、再帰も出来なくはなさそうな気がするのは、この辺のせいなのかも。
まぁ、福本作品的に次の出番は死体って気もしますが。
(こうしてみると、大槻班長は敗北した敵の中では、まだましな顛末だよなぁ……)
てんちょが女顔な理由。
それは端的に言えば、『沼』とてんちょの存在その者が、魔女的だからだろうな、と。
沼はもちろん水たまりのあの沼からついた呼び名なわけですが、もともと水面というのは羊水に通じる、母なる物のモチーフの一つだそうです。古代においては、あの世は水の向こうや、水の底、あるいは地の底に想定されていることが多いのだとか。
地母神でググると色々出てくると思うんですが、母はあの世からこの世へ、命を持ってくる豊穣の側面があると同時に、同じ力を持って、この世にある物を、あの世へと取り込み飲み込む、死をもたらす側面もあります。
母とはあの世とこの世の通路を司る存在だからです。
地母神は童話などでは魔女や蛇やドラゴンとして登場し、助力者になることもあれば、敵対者になることもあります。
(ただし父権宗教が浸透してくると、これらは単純に悪いものとして扱われるようになってゆくのだそうな)
また一般に、あの世には、この世にないもの・命・宝が存在するのも定番。
あの世に行き、生きたまま帰ってこれた者が、この世へご褒美を持ち帰る童話も、多く残されているのだそうで。
しばしばあるパターンとして、蛇や龍の腹の中に食われる(産道・すなわちあの世への通路に入る)と、そこに素晴らしい宝があり、腹からの帰還に成功することで、宝を獲得する、というのがあるのだとか。
むろん帰還に失敗すれば、あの世へ取り込まれてしまいます。
これ、まさに『沼』の特徴そのものですわいな。
腹に宝を抱え込み、それを狙いに来た者達を、次々飲み込んで、あの世へ送り込む。
ま、カイジが挑戦した賭けって、多かれ少なかれみんなそういうところはあるんだけれど、沼の場合相手をずぶずぶと飲み込み、宝をずぶずぶと抱え込む姿が、特に強調されて描かれてるんだよね。言ってみればここがテーマになってる闘い。
一般的にカイジは、信頼と裏切りが結構大きなテーマだったりするんですが、対戦相手がパチンコ台じゃ、信頼もへったくれもないですからね。(どれだけ玉が出るかを、客に隠して店が設定するのが、パチンコのルール。劇中でも言われているとおり、店が出さないと決めた台からは出ないのはルールのうち)
また、一条本人も動物に例えるなら蛇っぽい性格に描かれています。
決闘で敵にとどめを刺すのではなく、一端飲み込んで(カジノへ入店させ)、後は勝手に胃酸に溶かされる(挑戦者が資金を溶かして自滅する)のを待つシステムを採用している。
牙は細いのに噛まれると死ぬほど痛い痛い(血マニ)。
繊細な外観とは裏腹に、結構大雑把な力技で獲物を飲もうとする。
また蛇には嫉妬深いというイメージもありますが、一条がカイジにつっかかるような物言いをするようになったのは、黒崎がカイジの方が一条より遙かに優れている面があると評してからです。
あと、一条はかなり女々しいことを根に持つ性格でもあります。
で、蛇もまた先述したとおり、地母神のモチーフなんですよねー。
カイジから見ると、沼は一条の化身であり、一条は沼の化身です。そしてこの二者はどちらも、地母神の魔女としての一面が強い。
これがてんちょの女顔の理由ではないかな、と思います。
つまり、てんちょは魔女ッ子たんだったんだおヽ(゜∀゜)ノ
魔女は人を死へ誘う誘惑者なんだから、綺麗なルックスしてるんだよ!!
じゃ、なんでてんちょはおにゃにょこじゃないのさ、というと、まぁこれは福本作品全般に言えることですが、完全におにゃにょこだと、運命の女神様になっちゃうからです。
女は運命の象徴そのもの。古来からのお約束で、そういう記号《シンボル》なんです。あげまんとかさげまんとか、まさにそれ。女の子の気まぐれや癇癪一つが、彼女が愛した男の運命を動かす力がある、そういう呪術的な思想が人々の無意識にある。女の子は出すだけで、そういうイメージを与えてしまう。
絶対勝てないっつーか、これはそもそも戦うこと自体が出来ない相手です。運命の女神の寵愛巡って争うのがギャンブルなんですから。
というか、福本氏のギャンブルに女は要らないって、この辺が絡んでそう。
坊ちゃんの小説内には登場しましたが、彼女は運命の女神であること(愛した対象に勝利の運気をもたらす存在たること)を捨て、自らが運命への挑戦者になる選択をする形で描かれてるから、登場できるんですよね。
ところで、てんちょカムバックできねーかなぁ、とファンはみんな思ってたりするわけですが、カイジの激励のおかげで、確かにフラグは消えてないですしね。
ここでふと思うんですが、もしも店長が食らった刑が焼き土下座だったら、100%復帰は不可能だったろーなぁと。
実際に焼き土下座を食らった利根川が廃人から復帰する可能性は0ではないように私は感じるのですが、これがてんちょだったらはアウト。
古来から魔女の弱点は火。魔女へ唯一とどめを刺せる方法は、父権の象徴である炎で焼き殺すことだからです。
逆に……実際に一条は地底に落ちたわけですけど、地底ってもともと地母神のテリトリーなんですよね。
確かに、再帰も出来なくはなさそうな気がするのは、この辺のせいなのかも。
まぁ、福本作品的に次の出番は死体って気もしますが。
(こうしてみると、大槻班長は敗北した敵の中では、まだましな顛末だよなぁ……)
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